当サイトは記事内に広告を含みます

BUMP OF CHICKEN「カルマ」歌詞の意味を解釈は?アニメ主題歌

BUMP OF CHICKEN・カルマ・歌詞・意味

結成22年を迎え、日本の代表的なバンドの一つとなっているBUMP OF CHICKENバンプオブチキン)。

精力的に活動し、ゲームやドラマ、CMのテーマソングも数々手がけているロックバンドです。

いまでも人気はとどまることを知らず、全国ツアーを行う傍ら、新曲の制作も行われています。

今回はそんな数ある楽曲の中でも特に代表的な一曲カルマ』の歌詞意味を考察していきたいと思います。

「カルマ」テイルズオブシビアス アニメ版の主題歌

『カルマ』は2005年に発売され、シングルでは、『天体観測』に次いで2番目に高い売り上げを記録しました。

また、この楽曲は、RPGゲーム「テイルズオブジアビス」のテーマ曲に起用。ゲームのキャッチコピーは「生まれた意味を知るRPG」となっております。

 

「カルマ」とは、「業(ゴウ)」という意味があり、因果応報やその人の行為を表す言葉です。

「カルマ」というテーマは、ボーカルの藤原さんがずっと書きたかったテーマであり、ゲーム会社と何度も会議を重ね、藤原さんが書きたい内容で制作されました。

タイアップ曲ではありますが、タイアップ作品に合わせた曲を作ったら、自分の気持ちに嘘をつくことになるため、楽曲は作品に寄せることなく作られたそうです。

元々は主題歌のみの依頼でしたが、「作品全体で楽曲を表現したい」という理由で、サントラが制作されました。

テイルズオブジアビス」は、アニメ化やリメイクがされている作品で、評価も高く、おすすめのRPGです。

BUMP OF CHICKEN「カルマ」歌詞の意味は?

それでは、藤原さんがずっと書きたかったテーマを歌った『カルマ』は、どのような意味を持っているのでしょうか。

「カルマ」というテーマ自体が難解なため、藤原さん自身も曲を製作するかどうか悩んでいましたが、「テイルズオブジアビス」のあらすじを見た際、「ゲームのストーリーが『カルマ』の歌詞の意味を補う道しるべになるのではないか」と思い、製作を決めたそうです。

それではそんな『カルマ』の歌詞を考察していきましょう!

BUMP OF CHICKEN「カルマ」①番歌詞の意味を考察

ガラス玉ひとつ落とされた
追いかけてもうひとつ落っこちた
ひとつ分の陽だまりに
ひとつだけ残ってる

引用:「カルマ」作詞/藤原基央

「ガラス玉一つ落とされた」という印象的な歌詞から始まるこの曲。モチーフはこの歌詞の通り「ビー玉(ガラス玉)落とし」となっているようです。

「ビー玉落とし」とは、床に5cm四方ほどの枠を作り、ビー玉を上から落としたり指で弾くなどして、うまく相手のビー玉に命中させれば自分のものになる、という遊びのことです。

このAメロはこのゲームのことを正確に表していて、「ビー玉を落としたことで他のビー玉が弾き飛ばされ、一つだけが残っている」という状態を表しています。

人もこのビー玉と同じように、「気づかないうちに他人を弾き飛ばしているかもしれない」ということです。

 

これは次のAメロやBメロでも表現されており、

「心臓が始まったとき いやでも人は場所を取る」

「汚さずに保ってきた手でも汚れて見えた」

と歌われています。

生まれてきた時点で、既に知らないうちに何かを傷つけている、ということです。

 

必ず僕らは出会うだろう
同じ鼓動の音を目印にして
ここに居るよ
いつだって呼んでるから
くたびれた理由が重なって揺れる時
生まれた意味を知る

引用:「カルマ」作詞/藤原基央

サビでは「必ず僕らは出会う」と歌われていますが、果たして何に出会うのでしょうか。

それは、ビー玉をはじき出した行為(=カルマ)と考えます。

「知らず知らずのうちにだれかを傷つけてきた」という過去に、必ず出会うだろうと歌っているのでしょう。

 

自身が生きていく上で必ず立ちはだかる「なぜ自分たちは生きているのか」という問いを考えるとき、

「他人の居場所を奪ってまで手に入れたこの場所で自分がなすべきことは?」という疑問に行き着くわけです。

 

「他人の居場所を奪う」という業を思い返すこと、すなわち、「自分が取ってきた行動を見返すことで生きている意味を見つけていく」という意味だと思います。

「くたびれた理由が重なって揺れるとき 生まれた意味を知る」という歌詞にも重なると思います。

BUMP OF CHICKEN「カルマ」②番歌詞の意味を考察

引用:http://www.bumpofchicken.com/

2番のAメロも1番同様「知らないうちに他のビー玉をはじき出している」ということを、歌詞では表現しています。

 

数えた足跡など
気付けば数字でしか無い
知らなきゃいけない事は
どうやら1と0の間

引用:「カルマ」作詞/藤原基央

ここでいう「数えた足跡」というのは、自分が行ってきた過去の行動でしょうか。

「自分が何を成したか」ということは、ここではさほど問題ではなく、重要なのは「1と0の間」であると歌われていると思います。

「1と0の間」というのは、ビー玉が落とされる瞬間のことではないでしょうか。

元々なかった命が産み落とされたときのこと、すなわち、0だったものが1になった瞬間を知ることが重要なのでしょう。

それは「自分がなぜ生まれたのか」ということにつながると思います。

 

初めて僕らは出会うだろう
同じ悲鳴の旗を目印にして
忘れないで
いつだって呼んでるから
重ねた理由を二人で埋める時
約束が交わされる

引用:「カルマ」作詞/藤原基央

今までの歌詞にも「僕ら」という表現がされていましたが、ここで初めて「二人」という表現が出てきます。

ここでいう二人とは、先ほども言った通り、「いまの自分」と「自分が行った行動(カルマ)」のことではないでしょうか。

「約束が交わされる」とは、「このように生きて行こうね」という、これからの生きる指標のことでしょう。

自分と自分の過去とで生きる理由を相談し、その理由が見えたときにようやく生きる意味が決まるということではないでしょう。

 

鏡なんだ 僕ら互いに
それぞれのカルマを映す為の
汚れた手と手で触り合って
形が解る

引用:「カルマ」作詞/藤原基央

先ほど、「僕ら」というのは、自分とカルマであるという風に解釈しましたが、

自分と「自分がはじき出した誰か」という解釈もできると思います。

自分と、自分が知らず知らずのうちに傷つけていただれか。

例えば、就職活動。採用試験を受けて「受かった自分」と「受からなかっただれか」が初めて出会ったときに、「自分はこの人の分まで頑張るんだ!」という意識が生まれ、約束が交わされる、という風に解釈できると思います。

 

ここで歌われている「鏡なんだ」という部分は、自分はだれかをはじき出していると同時に、誰かにはじき出されていることを示しているのではないでしょうか。

はじき出したもの同士(汚れた手と手)が出会った瞬間に、

自分ははじき出す存在であり、はじき出される存在でもあることがわかる、と歌われていると考えました。

 

忘れないで
いつだって呼んでるから
同じガラス玉の内側の方から
そうさ 必ず僕らは出会うだろう
沈めた理由に十字架を建てる時
約束は果たされる
僕らはひとつになる

引用:「カルマ」作詞/藤原基央

カルマと出会うことで、生きる意味を再確認できる。

もしくは、自分がはじき出した誰かと出会うことで、生きる意味を再確認できる。

そのようなことが歌われているのではないでしょうか。

BUMP OF CHICKEN「カルマ」歌詞の意味は? まとめ

引用:https://natalie.mu/music/news/249105

いかがでしたでしょうか。

この楽曲を制作した藤原さん自体が「難解である」と言っているので、その考察もなかなか難しくなりましたが、この曲をきいた人それぞれが考えることが、重要なのかもしれません。

藤原さんは、「人畜無害になりたい」という夢があるそうです。しかし、誰にも迷惑をかけず生きていくのは不可能であると即否定しています。

自分の行為(=カルマ)と向き合ったからこそ、音楽で恩返しをするという道に進んだのかもしれません。

コメントを残す