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『Character/キャラクター』歌詞の意味は?(ずっと真夜中でいいのに)ACAね×Rin音

ACAね×Rin音『Character』歌詞の意味は?

「Character」歌詞の意味とは?|ACAね×Rin音|2番

異常者の美学|2番:「Character」歌詞の意味

さんざめく群れ 東京の逃避行
失って消えるこれからも
灰に変わる君という君を
明日に残すこのポートフォリオ
どうぞよろしくと神は脱帽
2つ名を飛び回るパスポート
大当たり feel like a jackpot
運命が交差するジャンクション
1894 死神と世に隠れワルツ踊るモルモット
手には塩 見えないghost 己を失した代償
今は触れる揺れるができないでいる
常に今日に情を持って生きている

引用:ACAね × Rin音「Character」歌詞より

2番では、「両角」が「山城」と出会うことで変化していった心境を描写していると解釈します。

 

まず「さんざめく群れ~飛び回るパスポート」での部分では、「両角」が歩んできた人生がどんなものだったか説明をしてます。

 

人が群れを成す東京という街の中で、「両角」は自らの手で「灰」に変えていった人々を「ポートフォリオ」(書類入れ)にしまい込むように自分の心の中に思い出として留めて、どんどん次の殺人を繰り返していきます。

 

その様子は、神ですらどうぞ勝手によろしくやっておいてくれと「脱帽」してしまう程、強烈でした。

 

しかし続く歌詞では「大当たり」「運命が交差する」といった語句が並び、まるで何か転機が訪れたような表現が続いています。

 

これは、「両角」が「山城」の描いた、自分の言動を反映させたキャラクターが現れる作品を読んだことで新たな殺人のインスピレーションを得たことを示しています。

 

その後の歌詞は好調に殺人を重ねていく「両角」の様子を様々な語句で表現しています。

「死神」=「両角」が「モルモット」=「被害者」をワルツを踊るように蹂躙していき、死んでいった人々に対しては塩を撒いて追い払うといった「両角」の徹底した残酷さを表現しています。

 

そして、こだわり抜いた殺人方法と、それを行う自分自信に対して愛「情」を持ち今日も生き生きと過ごしているといった様子が描写されています。

 

キスで止めて 温い永遠は怖い
母はきっと喜ぶし 月日は同情 総円満に

引用:ACAね × Rin音「Character」歌詞より

 

そんな風に悪意を振る舞うことに最高の喜びを感じていた「両角」は、「山城」と同じく「キス」=「愛情や思いやり」によって悪意の奔流を止められ、「温い永遠」が訪れてしまうことに恐怖を抱いています。

 

そして、1番と違いここの「母」は「殺意」が生まれる元である悪意のことを指しているようです。

 

悪意に満ちた生活を送れば気持ちは満たされ、月日を重ねるにつれて自分に「同情」する共感者も現れてきて、最後は「円満」な人生が迎えられるだろうという期待をもって「両角」は殺人を繰り返していくのだと説明しています。

 

とても理解できる感情ではありませんが、異常者である「両角」は悪意のままに振る舞うことが自分の人生を善くしてくれると信じているのかもしれません。

 

善意への気付き|サビ②:「Character」歌詞の意味

1番と同じ内容ですが、ここでは「両角」側の気持ちになって考察することで新しい解釈が見えてきます。

 

悪意こそが人生を善くしてくれると盲信している「両角」は、善意の塊である「山城」に対して真の悪意に染まって欲しいと考えます。

 

「このギリな人情」=「優しさを捨てきれない」で生きている「山城」の、危ないくらい真っすぐな「優しさ」を奪って、自らの内に隠していた上等な悪意を必死にぶつけます。

 

しかし、真の悪意、そして自分の美学を理解してもらうことができず、「両角」も「悪足搔き」だったと後悔しつつ、徐々に真の優しさを持つ「山城」に対して敬意を抱くようになっていくのです。

 

「両角」の人生には「山城」のような善意に溢れた人間との接触がなかったのでしょう。

 

善意なんてものがこの世に存在していることを信じていなかった「両角」の心境に変化が表れていく兆しが表れているようですね。

 

理想と現実|Cメロ:「Character」歌詞の意味

手におえぬ痛みの中で 自我を保ってる
(生々しい 僕がほしい)
誰だってゼロからの成長業務
自由な解体 変わったんじゃない隠してた
内心は分かってるくせして
まだ手は震えるいつかの行方
後ろ回す前に態度をコピって前に倣え
右も左も分からないまま 愛を探した

引用:ACAね × Rin音「Character」歌詞より

3番の歌詞では「山城」と「両角」それぞれの変化に焦点を当てています。

 

「手に負えぬ痛み」は、「山城」の悪意への憧れと「両角」の善意への戸惑いを指しており、渇望と迷いの中で何とか「自我を保ってる」二人だが、心の内では「生々しい僕がほしい」と確立されたアイデンティティを求めてもがいています。

 

「誰だってゼロからの成長業務」とは、人間はみな生まれた時はまっさらで育つ環境によって人格が形成されていくことを示しています。

 

そして、形作られた人格を後から無理に変えることができないのは「内心は分かってる」のです。

 

だけど、「山城」は「両角」の振る舞いを真似て(コピって)悪意に染まろうとし、「両角」はまだ知ったばかりで何も分からない善意(愛)を探して足掻くのです。

 

親も子も二人も 何にも嘘はないけれど
誰にも引き出せない 僕を通わせてく
沿う 汗ばんだ夏が僕へと再生する ただいま

引用:ACAね × Rin音「Character」歌詞より

ここで出てくる「親も子も二人も」について、「親」は善意や悪意を指し、「子」はそこから生まれる愛情や殺意を指しており、「二人」は「山城」と「両角」を示していると解釈します。

 

二人の感情に「何にも嘘はないけれど」、自分の生来持っている人格を無視して振る舞うのには限界があります。

 

結局、「誰にも引き出せない」自分の本性だけが、自分の血を通わせてくれるのです。

 

次の「汗ばんだ夏」ですが、「夏」は開放的な季節でありここでは本性を開放する時期が来たことを指していると解釈します。

 

本性(善意と悪意)を開放したおかげで本来の自分を「再生」していくというわけです。

 

理想と現実は常に違うものですが、優しい人間が人殺しに、人殺しが優しい人間になるのは非常に難しいというのは想像ができます。

 

ラスト|サビ③:「Character」歌詞の意味

この義理な心情 生きてる君の
正直なくらい危ない 真面目がほしい
格下上等 血走った思い通りを
ぶつけられたとて 悪足掻きと合掌

引用:ACAね × Rin音「Character」歌詞より

最後のサビでは、善意と悪意の体現たる「山城」と「両角」が互いに自分の「キャラクター」を

 

義理の意味は、

 物事の正しい筋道。また、人として守るべき正しい道。道理。

引用:goo国語辞書 https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%BE%A9%E7%90%86/

であり、それぞれの「守るべき正しい道」を信じて危険なくらい真っすぐ生きている「山城」と「両角」は、お互いの信念をぶつけ合います。

 

最後の歌詞、「悪足搔きと合掌」の意味ですが、ここでの合掌の意味は

インドにおいては、右手は清らかなもの、左手は不浄なものとされています。

同様に仏教において、右手が仏様の世界、左手が衆生(しゅじょう)の世界を現しているといわれています(衆生とは全ての生き物という意味)。両手を合わせることで、仏様と衆生が一体となるという意味を持ちます。

引用:斎場ねっとのお別れ葬

となり、「清らかなもの」=「善意」、「不浄なもの」=「悪意」として解釈すると、お互いに絶対に交わることのない信念をぶつけ合うのは、全く意味のないことなのか・・・

 

それともいつか調和して一体するのか、どちらの可能性もあると示唆するような内容であると考えられます。

 

「善意」しか持たない人間、「悪意」しか持たない人間なんて世の中に存在することはなく、誰しもその二つ併せ持ち場面や環境によって感情は異なってくるはずです。

 

この曲は、二人の偏った「キャラクター」が、普通になろうともがく様子を繊細に表現しているのだと思います。

 

「Character」歌詞の意味を考察|(ずっと真夜中でいいのに)ACAね×Rin音 まとめ

character

映画のメインテーマに沿って、「お人好しと異常者の対比」という観点から考察しました。

 

考察するために参考にできたのは、予告編と公式サイト、そしてMVのみだったため、情報が不足気味でした。

 

そのため、今回は先入観をあまり持たず自分の想像力に任せて考察してみました。

 

映画を見たら、180度解釈が変わったりするかもしれませんが、それもまた一興ですね。

 

歌詞以外の点に注目すると、「ACAね」の透き通るような冷めた声色と「Rin音」の軽やかでスタイリッシュなラップが「Yaffule」のトラックと綺麗にハマっており、音を聞いているだけで気持ちいい感じがします。

 

聞けば聞くほど味が出てきて、今では毎日ヘビロテしてます。

映画館で聞くのが楽しみです。

 

以上で考察を終わります。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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1 COMMENT

たかはし

「1894 死神と世に隠れワルツ踊るモルモット」
という歌詞に関して、1894に触れていない考察が多いので参考までに。

1894年はフィリップ・ファールバッハ2世の没年です。ファールバッハ家最後の音楽家と言われ、父であるフィリップ・ファールバッハ1世は『ウィンナ・ワルツ』と呼ばれるジャンルの音楽で人気を博していました。しかし、息子の死によってファールバッハ家は音楽界から姿を消してしまいます。

もう一つ、1894年に発表された版画に『騎士の姿の死神』というものがあります。マックス・クリンガーという版画家が作曲家ブラームスの60歳記念として捧げた『ブラームス幻想』という版画集に収録されている作品です。

ちなみにこの年は北里柴三郎がペスト菌を発見した年でもありますが、ペストという病気はモルモットが由来となって感染します。もはやこじつけです。

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