今回は米津玄師さんの『クランベリーとパンケーキ』の歌詞の意味について、解釈・考察をしていきたいと思います。
この曲は、米津玄師さんの大ヒット曲である、『Lemon』のカップリング曲として収録されている楽曲。
トミヨシ(管理人)
『クランベリーとパンケーキ』の歌詞には、一体どんな意味が込められているのでしょうか?
当サイトては積極的にコメントを募集しています。
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米津玄師「クランベリーとパンケーキ」はどんな曲?
『クランベリーとパンケーキ』は、2018年3月18日に発売されたシングル『Lemon』のカップリング曲として収録されています。
この曲自体にタイアップなどはありませんが、米津玄師さん自身のパーソナルな部分が表現された一曲となっています。
「クランベリーとパンケーキ」は二日酔いがテーマ
『クランベリーとパンケーキ』は、二日酔いの気分の曲として作られたもの。
楽曲に対して米津玄師さんは以下のようにコメントしています。
「だいたい最近は夜中に飲み歩いてばっかりで朝まで飲んで、ちょっと寝て起きたら窓から日が差し込んできてて、”眩しいなぁ~頭痛い”みたいな最悪な気分になることが日常で多くて、それを音楽にするべきかなと思ってこうなったという感じ。」
引用:米津玄師 と、Lemon。より
人の死をテーマにした『Lemon』とは違い、お酒をテーマにしていることもあって曲調もどこか軽い印象を受ける楽曲ですね
米津玄師にとってお酒はメガネ?
「メガネ」が視力を補完するものなら、視界をぼやけさせる「お酒」は「逆メガネ」であると語る米津玄師さん。
生きて行く上で過敏になり過ぎた神経を麻痺させてくれて、その結果たどり着くべき目標などを見失わず、一直線にそこに行くことができる、と語っています。
『クランベリーとパンケーキ』に関する語りは25:46辺りから。
以下、米津玄師さんの語りから要約します。
お酒は俺にとっての眼鏡なんですよ。眼鏡がないと文字も読めない。それを補完するものとして眼鏡をかけて、視力が良くなる、神経が過敏になってちゃんと生きていける。
お酒はそれの真逆で、生きていく上で神経が過敏になりすぎる瞬間がある。でも、お酒を飲むと、その自意識をうまい具合にしぼませてくれるというか、ばかになって、過敏になった神経が麻痺される。
引用:米津玄師 と、Lemon。より
このように語られています。
詳しい内容については、動画をお聞きください。
『クランベリーとパンケーキ』はカップリング曲ということもあり、MVなどは制作されていません。
そのため、動画サイトには米津玄師さん本人が歌う『クランベリーとパンケーキ』は上がっていないので、カバーを紹介します。
このカバーを歌っているのは、KENDYさん。数々の弾き語りカバー動画を上げており、米津玄師さんの楽曲カバーも多く挙がっています。
フルでカバーしているのはこちら↓
米津玄師「クランベリーとパンケーキ」歌詞の意味を解釈
二日酔いの曲とは思えない可愛いタイトルの『クランベリーとパンケーキ』。
果たしてその歌詞の中には、どのような意味が込められているのでしょうか?
気になるその歌詞の全貌を紐解いていきます。
「クランベリーとパンケーキ」Aメロ|歌詞の意味
不意に見かけたブロンズの女神の
お臍に煙草擦り付けて笑う
思い返せば馬鹿げている
大体そんな毎日引用:「クランベリーとパンケーキ」作詞/ 米津玄師
曲の一番最初に出てくるブロンズの女神ですが、そのおへそにタバコを擦り付ける行為は、「馬鹿げている毎日」をうまく表現した一文ではないでしょうか。
ブロンズの女神という、「神聖なもの」に対して、タバコを擦り付けて笑う。
お酒に酔ってバカなことをやってしまったという情景や心理を描いています。
また、「反抗」しているような印象も受けることから、「気だるい空気感の毎日」というようなものを表しているとも言えるのでは?
その日限りの甘い夜を抜け
今じゃ彷徨う惨めな
ストーリーライター
誰かわたしと踊りましょう
なんてその気もないのに引用:「クランベリーとパンケーキ」作詞/ 米津玄師
この楽曲の主人公を米津玄師さん自身とすると、「その日限りの甘い夜を抜け」という歌詞は、「日々忙しい中で手に入れた束の間の休息」と取れます。
「お酒を飲み楽しく過ごした甘い夜」を抜けて、街をさまよっているストーリーライター(=米津玄師)と考えられますね。
そんな甘い夜には「誰かと踊りたい!」と思うほど気分がいいけど、それはその時限りのこと。
素面の自分からすればそんな気もないのにな、という客観的な視点で見ているのではないでしょうか。
そんな、浮つきながらもどこか自分は見失っていない、酔っ払っている時独特の心理描写が、「誰か私と踊りましょう なんてその気もないのに」という歌詞から読み取れます。
「クランベリーとパンケーキ」サビ|歌詞の意味
ヒッピヒッピシェイク
ダンディダンディドンで
クランベリーのジャムでも作ろうね
パンケーキと一緒に食べようね
ほら丁寧に切り分けて引用:「クランベリーとパンケーキ」作詞/ 米津玄師
サビに登場する「ヒッピヒッピシェイク」や「ダンディダンディドン」という擬音語ですが、お酒を飲んで気分がいいことを表しているだけで特に意味はないのではないかと考えます。
しかし、クランベリーについては、花言葉として「癒し」や「慰め」という意味がついています。
それをパンケーキと一緒に食べるとはどういうことなのでしょう…?
ヒッピヒッピシェイク
ダンディダンディドンで
全部頬張って隠してしまえ
やがて熱さにも耐えかねて
嗚呼きみは吐き出した引用:「クランベリーとパンケーキ」作詞/ 米津玄師
次は、先ほどの擬音語の後に「全部頬張って隠してしまえ」という歌詞が登場しました。
こちらは、語りでも登場していたような、「逆メガネ」を表しているのではないかと考えます。
お酒を飲むことによって、様々なものがぼやけ見えなくなり、向かうべき目標に一直線にたどり着くことができる。
そんなお酒によってぼやけた様々なものを頬張って隠そうとしますが、隠せるはずもなく、吐き出してしまった。と考えられます。
癒し(=クランベリー)をもたらしてくれるお酒によって、自意識(=パンケーキ)を包み込んで一緒に食べますが、
結局はそんな自意識も受け入れなければならず吐き出してしまう、と表現しているのではないでしょうか。
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